弊社ブログではこれまで中国文化をテーマにした記事をいくつか掲載してきました。例えば、「中国人の『面子』は日本人の『空気』!?」では、社会全体の支配原理として機能しているにもかかわらず、その実態がつかみにくい日本の「空気」と、中国の「面子」を比較しました。また、「お願い、『辛苦了(シンクーラ)』なんて言わないで」では、日本語の「お疲れ様」の訳語に当てられる「辛苦了(シンクーラ)」が、日本と中国においてかなり違った文脈で用いられることや、そこから見える文化的差異について紹介しました。
ご承知のようにその国の文化と言葉は切り離すことができず、言葉を理解することは、文化を理解することでもあります。文化が「木の幹」だとすれば、言葉はその木に生み出される「果実」といっても良いでしょう。
例えば、中国語の1つの単語を翻訳するにしても、表層的に訳を当てるだけでなく、その単語を生み出している中国文化にまで遡るとより文脈に即した翻訳ができるようになります。これこそが弊社が文化理解にフォーカスする所以です。
今回は、日本語にあって中国語にない言葉にいくつか注目します。その背景には大きな文化的な相違が横たわっていることに気付かされるでしょう。
「迷惑をかける」
「迷惑」という言葉は漢字で表記されますが、日本語と中国語では意味が全く異なります。中国語の「迷惑(Míhuò)」とは、「混乱させる、惑わす」という意味です。例えば、
花言巧语迷惑人(Huāyánqiǎoyǔ míhuò rén)=甘い言葉で人を惑わす
というように使われます。
漢字から見るに中国語の意味はしっくりきますが、言わずもがな、日本語にはそのような意味はありません。日本語の「迷惑」は一言で表現するのが難しい言葉ですが、デジタル大辞泉によると意味は以下の通り。
「ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。また、そのさま。」
ちなみに、日本語の「迷惑」にも「どうしてよいか迷うこと、とまどうこと」という意味もあるようで、もともとの意味はこちらだったようです。
さて、「中国語には『迷惑』という言葉がない」というと、中国語学習者の方は「いやいや、中国語には『麻烦』がありますよ」と言われるかもしれません。例えば、「ご迷惑をおかけしました」は「麻烦你了(Máfan nǐle)」という訳が当てられることがありますし、それも間違いではありません。
「迷惑事件」とは?
ここで、紹介したいエピソードがあります。それは、1972年に当時の田中角栄総理大臣と周恩来首相との間でなされた日中国交正常化交渉の際に使われた「迷惑」という言葉に関するものです。
その際、田中総理は日本の戦争責任について触れ「過去数十年間にわたって、日中関係は遺憾ながら、不幸な経過を辿ってまいりました。この間我が国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」と述べました。
では、この「迷惑をおかけした」という日本語に「麻烦」という中国語を当ててよいでしょうか?おそらく中国語初級者の方でもそこに違和感を感じるはずです。しかし、当時の通訳はあろうことか「添了麻烦」という訳を当ててしまい、周恩来を激怒させたと言われています。これがいわゆる「迷惑事件」です。
日本語の「迷惑」という言葉自体は外務省が考えに考え、推敲に推敲を重ねて選んだ言葉だったようですが、高度にセンシティブな声明の中で「麻烦」を用いたのでは相手を怒らせるのも無理はないでしょう。
しかし、考えてみますと、企業の不祥事や芸能人のスキャンダルでも、日本語の「迷惑」という言葉は常套句であり、この言葉を使うことで加害者は自分の誠実さや申し訳ないと思っている気持ちを伝えることができます。そして、そこには経済的な損失だけでなく、相手が被った感情的、精神的なダメージに対する謝罪の意味合いも含まれます。
それに対して、中国語の「麻烦你了」には、せいぜい「仕事で面倒かけちゃってごめんね」とか「渋滞で待たせてしまってすいません」くらいの意味しかないのです。
そして、興味深いのは、中国語の「麻烦你了」が使えるようなシーン、つまり相手に重大な損害までは与えていない場面でも、日本語の「迷惑」と言う言葉が使えることなのです。「仕事で迷惑かけちゃってごめんね」とか「渋滞でお待たせしてご迷惑をおかけしました」というように使っても全く問題はないことにお気づきになるでしょう。つまり、日本語の「迷惑」は相手が受けたさまざまな不利益のグラデーションに応じて自由自在に使える、魔法のような言葉なのです。
では、日本語の「迷惑」に相当する中国語はあるのか?といわれると、おそらくぴったりはまる言葉はないように思われます。ここには、日本と中国の文化的差異があると言わざるを得ません。
「遠慮する」
中国語にありそうでない別の日本語に「遠慮する」があります。
そう言うと「いやいや、『客气(kèqì)』がありますよ」という反論が聞こえてきそうです。確かに「遠慮しないでたくさん食べてください」というときに「不客气(Bù kèqì)」や「别客气(Bié kèqì)」という言い方をします。それはその通りです。
しかし、日本語でよく使われる断り文句「今回は遠慮させていただきます」はどうでしょう?この文脈における「遠慮」に「客气」を当てることは不自然ですし、他の相応しい中国語の単語も見当たりません。
あるいは、コンビニなどで見かける「立ち読みはご遠慮ください」「無断でのトイレの使用はご遠慮ください」はいかがでしょうか?ストレートな表現が好まれる中国語では「请(Qǐng )」を使えば十分丁寧ですし、店内の張り紙などでは「谢绝(Xièjué)」や「请勿(Qǐng wù)」が使われることもあります。しかし、「人に対して、言葉や行動を慎み控えるように」求める「ご遠慮ください」に相当する中国語はないように思われます。
まとめ
今回は中国語にない「迷惑をかける」「遠慮する」という2つの言葉を取り上げました。その背後に見え隠れする日本語と中国語の文化的差異についてはいろいろな考察ができると思います。
ひとついえるのは、どちらの言葉もロジックよりも空気、物事をはっきり区別することよりも曖昧さを好む日本文化の産物ということ。それゆえにどちらの言葉も使用シーンがさまざまで、広範囲です。中国語に翻訳するときには文脈に応じた訳し分けが求められるでしょう。
しかし、こうした曖昧さや不可解さこそが、日本語を学習する海外の方々を混乱させると同時に、惹き付けるのかもしれません。
次回は今日取り上げたテーマの逆、「日本語になくて、中国語にはある言葉や表現」に注目します。ご期待ください。
参考サイト:
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著者プロフィール
YOSHINARI KAWAI
2008 年に中国に渡る。四川省成都にて中国語を学び、約 10 年に渡り、湖南省、江蘇省でディープな中国文化に触れる。その後、アフリカのガーナに1年半滞在し、英語と地元の言語トゥイ語をマスターすべく奮闘。コロナ禍で帰国を余儀なくされ、現在は福岡県在住。
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