実は深い翻訳業界[51]~地球温暖化を“訳す”ということ:翻訳が支える環境コミュニケーション
- SIJIHIVE Team

- 10月31日
- 読了時間: 8分

地球温暖化、脱炭素、ネットゼロ—。
いまや、これらの言葉はニュースの見出しだけでなく、私たちの生活や未来を左右するキーワードになりました。気候変動をめぐる国際会議や科学レポートで交わされる議論は、世界中の政策や企業の行動に影響を与えています。こうした最新の知見を社会に正確に伝え、科学と人とをつなぐためには、「翻訳の力」が欠かせません。
本記事では、COP や IPCC 報告書に代表される環境分野の翻訳需要の背景から、専門用語の解釈、そして表現の精度を高める実践テクニックまでを解説します。
COP が近づくと依頼が増える?秋に忙しくなる理由

毎年秋に案件が増える背景
気候変動分野の翻訳案件は、毎年秋にピークを迎えます。その理由のひとつが、11月ごろに開催される「COP(国連気候変動枠組条約締約国会議)」です。各国政府や企業はこの時期に向けて環境施策や脱炭素方針を発表するため、報告書やプレスリリース、プレゼン資料などの翻訳依頼が一気に増加するのです。
さらに、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書発表時期とも重なるため、最新の科学的知見を反映した文書を短期間で翻訳・発信するニーズが高まります。とくに企業では、ESG(環境・社会・ガバナンス)報告や TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)の対応文書など、投資家やステークホルダー向けの翻訳が求められるのです。
翻訳現場の主役は「報告書」——環境レポートの裏側にある多様なニーズ
環境分野の翻訳対象は幅広く、政策文書から学術レポート、企業のサステナビリティ報告書まで多岐にわたります。
近年は「カーボンニュートラル戦略」「スコープ3排出量報告」「気候リスク開示」など、グローバル基準を意識した専門性の高い案件が増えています。
さらに、国際的には ISSB(国際サステナビリティ基準審議会) や GRI スタンダードの整備が進み、訳語や指標の整合性がより厳密に求められるようになりました。こうした背景から、環境翻訳では単なる言語スキルにとどまらず、科学的知識と社会的文脈を読み解く力が問われているといえるでしょう。
“ネットゼロ”を正しく訳す?専門用語と最新基準の読み解き方

環境翻訳で注意すべき言葉たち
気候変動関連の文書には、専門的でありながら政策的な意味をもつ用語が数多く登場します。
たとえば、「mitigation(緩和)」「adaptation(適応)」「net zero(ネットゼロ)」「carbon sink(炭素吸収源)」 といった語は、一見シンプルでも、文脈によって含まれるニュアンスが微妙に異なります。
IPCC 第6次報告書(AR6)やパリ協定では、これらの用語の定義が厳密に定められており、翻訳者は原典資料を確認しながら一貫した訳語を選ぶことが求められます。また、SBTi(Science Based Targets initiative)など、科学的根拠に基づくガイドラインも参考にし、最新の訳語や用語基準を常にアップデートしておく必要があります。
同じ単語でも要注意。環境翻訳でぶつかる言葉の壁
環境レポートの翻訳では、同じ単語でも使われる文脈によって意味が変わることがよくあります。以下は代表的な例です。
このように、訳語の選び方ひとつで報告書のトーンや政策意図が大きく変わることもあります。正確な翻訳のためには、語義を追うだけでなく、文脈・目的・読者の三つを意識して読み解く力が欠かせません。
正確さ×伝わりやすさ:科学をわかりやすく訳すコツ

難しい言葉をやさしく伝える、環境翻訳の言い換え術
環境分野の翻訳では、「科学的な正確さ」と「一般読者への分かりやすさ」の両立が大切です。
報告書を市民や投資家向けに要約する場合は、専門用語をかみ砕き、イメージが浮かぶ言葉に置き換える工夫が効果的です。
carbon neutrality by 2050 → 「2050年までに温室効果ガスの排出と吸収を均衡させる」
adaptation measures → 「気候変動の影響に備える対策」
直訳にこだわらず、「何を」「誰に」「どんな影響があるのか」を明確にすることで、読者の理解度がぐっと高まります。
数字も“翻訳”の一部。ミスを防ぐためのチェック術
科学的文書では、数値や単位、図表こそがメッセージの中核を担います。tCO₂、GWh、ppm などの単位は、表記ゆれや桁誤りがあると信頼性を損なうため注意が必要です。また、グラフや図表のキャプション、脚注も原文に忠実に訳出し、必要に応じて注釈を加えることが求められます。
翻訳支援ツール(CAT ツール)を活用する場合は、表中の数値を自動チェックする仕組みを整えることで、ミスの防止にもつながります。
“調べる力”が翻訳力の分かれ目に:環境分野で信頼されるためのチェックポイント

リサーチ力・専門知識・最新情報のキャッチアップ
環境翻訳で最も大切なのは、知識を更新し続ける姿勢です。
IPCC 報告書や UNEP(国連環境計画)の公式資料、環境省の邦訳版ガイドラインなどを定期的にチェックし、用語の変化や政策動向を追うことが欠かせません。また、欧州委員会や国際金融機関(IFC、OECD など)の英語レポートを読むことで、最新の言い回しやデータ表現にも自然と慣れていきます。
こうしたリサーチ力を磨くことは、翻訳精度を高めるだけでなく、クライアントからの信頼という何より大きな成果につながります。
これから伸びる「環境×翻訳」、未来をつなぐ専門分野として
環境翻訳は一過性のブームではなく、今後も持続的に需要が伸びる分野です。
「環境×経済」「脱炭素×金融」「再エネ×地域社会」など、複合的なテーマを扱える翻訳者は、将来にわたって高い専門性を持つパートナーとして評価されます。社会的課題を“自分の言葉”で伝えたいという意識を持つことで、翻訳者は「言葉を届ける人」から「未来をつなぐ専門家」へと進化していくでしょう。
まとめ

気候変動レポートの翻訳は、単なる言葉の置き換えではありません。その背景には、「人と地球の未来」を正確に、そしてわかりやすく伝えるという使命があります。
翻訳者が積み重ねる一文一訳の努力は、社会の理解を広げ、行動を生み出す力になる。それこそが科学と人をつなぐ翻訳力の真価だといえるでしょう。



コメント