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実は深い翻訳業界[52]~ことばに“敬意”を込めるということ ― 翻訳者が意識すべき倫理とは

石壁の鍵穴から古い街並みが暖かな光に照らされて見え、秘密の場所をのぞき込むような視点が印象的な構図。

翻訳とは、ただ単に言葉を別の言語へ置き換える作業ではありません。著者の世界観や文化的背景、価値観や感情を別の文化体系の中へ丁寧に移植する行為に近いものです。


翻訳者は、原文の背後にある思いや背景を深く理解し、 誤解なく相手文化へ届けるための「倫理的な判断」を常に求められます。


言い換えれば、翻訳とは“意味を動かす仕事”ではなく、 “意図と敬意を運ぶ仕事”。そこにこそ翻訳者の専門性が表れます。


この記事では、SIJIHIVE の強みである専門性に沿って、 翻訳の現場で本当に重要となる倫理・文化理解・中立性について、 実例も交えながら解説します。



翻訳における倫理とは


“WORDS”と“MEANING”の重りを載せた古い天秤が机の上に置かれ、翻訳における意図の重さを象徴的に表現している。

事実の正確さだけでなく“意図”を守る


翻訳の基本は「正確さ」ですが、 実務経験のある翻訳者なら誰もが感じるように、 “正しい意味”と“正しく伝わる意味”は必ずしも一致しません。

意図がズレてしまうと、語義が合っていても誤訳になることがあります。


実例①:学術論文の「慎重なトーン」の読み違い


英語論文では、

  • may

  • suggest

  • appear to

  • indicate

といった「断定を避ける語」が頻繁に使われます。


これを直訳して 「〜かもしれない」「〜のようだ」と並べると、日本語では“頼りない文章”に見えてしまいます。


しかし、著者の意図は 「科学的に慎重な姿勢を示すこと」。この背景を理解していないと、著者の立場を弱める訳文になってしまいます。


実例②:ビジネス文書での“柔らかい批判”


英語では遠回しな批判として There is room for improvement. が使われます。


一見「改善の余地がある」という無難な表現に見えますが、 文脈によっては “強めの指摘”となることがあります。


著者がどのニュアンスを意図しているのかを丁寧に掴み、 必要であればクライアントに確認する。それがプロとしての倫理です。


誤解や偏見を生まないための責任


翻訳者は言語の橋渡しであると同時に、 読者の受け取り方にも強く影響を及ぼす存在です。時には、訳文が原文以上の影響力を持つことすらあります。


実例:メディア記事の危険な直訳


たとえば immigrants を何も考えずに「移民」と訳すと、 国や文脈によっては政治的なニュアンスを帯び、読者の感情を刺激してしまいます。


ケースによっては

  • 「海外から来た労働者」

  • 「地域に移り住んできた人々」 など、より中立的で適切な表現が求められる場面があります。


読者に誤解や偏見、不信感を生まないためにも、 翻訳者の判断と責任は極めて大きいのです。



文化的センシティビティの重要性


繊細な模様が施された古い装丁本を、手元でそっと扱う瞬間を切り取った温かみのあるイメージ。

差別・固定観念を避ける表現選び


異文化圏の言葉を日本語へ移す際、 訳者が無意識のうちに“原文にない偏見”を付与してしまうことがあります。こうした固定観念は、気づかないまま読者の認知に影響を与えてしまうため、慎重な判断が必要です。


実例①:性役割を前提とする訳語


英語の “salesperson” を「営業マン」と訳すなど、 古い性役割を前提とした表現は要注意です。これは単なる言葉選びではなく、読者の無意識に働くバイアスの増幅につながります。


実例②:疾患や障がいに関する表現


原文の “suffers from〜” は直訳すれば「〜に苦しんでいる」ですが、当事者の中にはこの言い回しを好まない人もいます。


文脈に応じて、

  • 「〜と向き合っている」

  • 「〜の診断を受けている」 など、中立的で尊重ある表現を選ぶことが求められます。

翻訳者は単なる言語処理者ではなく、 社会への配慮を伴う“メッセージの媒介者”でもあります。


ジェンダーや宗教に配慮した翻訳姿勢


グローバル翻訳の分野では、ジェンダー・宗教・政治といったテーマは極めて慎重な配慮が必要となる領域です。


実例①:ジェンダー中立語の難しさ


英語には「単数 they」という表現があり、 性別を特定しない人への敬意として使われます。これを日本語で 「彼」「彼女」「彼ら」と使い分けてしまうと、著者の意図を損ねることになります。


状況によっては、「当人」「その人」 などの表現が適切な対応となります。


実例②:宗教的比喩


たとえば聖書の福音書に登場する“prodigal son(放蕩息子)” のような宗教比喩は、背景を知らない読者に誤解を与える可能性があります。


比喩表現を残すのか、説明を補うのか、 あるいは別の表現に置き換えるのか。翻訳者の判断は常に文化的敬意を基盤とする必要があります。



翻訳者の中立性と誠実さ


柔らかい光の中で真剣に書類を読む女性の横顔を捉えた静かなポートレート。

意見を加えず、意図をそのまま届ける


翻訳者にとって最も難しい倫理が「中立性」です。翻訳者自身も価値観を持つ人間であり、 完全に無色透明でいることはできません。それでもプロとして求められるのは、原文の姿勢を上書きしない節度と著者の意図を最大限尊重する姿勢です。


実例:政治的文章


原文:The administration’s decision has sparked debate.

この文章を「議論を巻き起こす“正しい決断”となった」など、 訳者の主観を加えた表現にしてはいけません。どれほど個人的な意見があっても、翻訳では意見を排除し、事実と原文の意図に忠実である必要があります。


透明性が信頼を築く


翻訳品質は、表に出ない多くの努力によって支えられています。だからこそ、翻訳の家庭を明確にする透明性が重要です。


透明性の具体例


  • 用語統一リスト(glossary)の共有

  • 迷った部分の訳注

  • 解釈の基準を明確に示す

  • 原文の曖昧な箇所は「曖昧」として提示する

  • 重要箇所は必ずクライアントに確認する


透明性のある翻訳者は、「なぜこの訳にしたのか」という理由 を説明できるため、クライアントからの信頼が圧倒的に高まります。



言葉に宿る、人への敬意


夕日の強いオレンジ色に染まる伝統建築の門のあいだに、女性がシルエットで佇むドラマティックな情景。

相手の文化を尊重することこそが「質」


翻訳は、異なる文化と文化をつなぐ“橋”のような役割を果たします。


実例:遠回し vs ストレート


日本語では「遠慮深さ」が美徳とされますが、英語圏では明瞭さが重視され、曖昧な表現は不信感を招くことがあります。


一方で、英語のストレートな指摘をそのまま日本語に訳すと、強すぎる印象になり“攻撃的”に受け取られる可能性もあります。

こうした違いを理解し、それぞれの文化の読み手が自然に受け入れられる形へ丁寧に整えること。それが翻訳者に求められる、大切な使命だと言えるでしょう。


誠実な言葉づかいが未来をつくる


翻訳された言葉は、 書籍、報告書、ウェブ記事、SNS 投稿など、さまざまな形で長く残っていくものです。多くの読者は原文ではなく、訳文そのものを信じて内容を解釈しますだからこそ、翻訳者が選ぶ一語一語には大きな重みがありますね!


誠実な言葉、丁寧な判断、文化への敬意――。スピードに翻弄されがちな業界ではありますが、この心構えを私たちも忘れないようにしたいものです。




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著者プロフィール


YOSHINARI KAWAI


2008 年に中国に渡る。四川省成都にて中国語を学び、約 10 年に渡り、湖南省、江蘇省でディープな中国文化に触れる。その後、アフリカのガーナに1年半滞在し、英語と地元の言語トゥイ語をマスターすべく奮闘。コロナ禍で帰国を余儀なくされ、現在は福岡県在住。




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