実は深い翻訳業界㊿~翻訳者のための秋の読書リスト:世界の名作を楽しむ
- SIJIHIVE Team

- 9月30日
- 読了時間: 9分

ページをめくる音が、秋の静けさに響く季節。翻訳者にとって読書は、ただのリラックスタイムではなく、言葉の感覚を研ぎ澄ますトレーニングでもあります。古典の緻密な比喩や韻律、現代文学の生きた息づかいに触れることで、日本語の表現力はぐんと深まります。
さらに英文学や中国文学といった異なる文化圏の名作を読み比べることで、新しい言葉の可能性や文化の奥深さにも出会えるでしょう。この記事では、秋の夜にこそ味わいたい名作と、翻訳の感性を磨くヒントをご紹介します。
秋に読みたい文学作品の魅力

翻訳者だからこそ気づける言葉の美しさ
翻訳は、単語をただ「日本語に置き換える」作業ではありません。原文の響きやリズム、そして文化の温度までも含めて表現することが求められます。読書の中で緻密な比喩やリズミカルな文章に出会い、「自分ならどう訳すだろう」と考えながら読む時間は、翻訳力を磨く最高のトレーニングです。言葉の微妙な揺らぎや音楽のようなリズムに耳を澄ませることで、日本語としての表現が一段と豊かになります。
名作に触れることで得られる感性の磨き方
世界の名作が時代を超えて読み継がれるのは、人間の深い感情や鮮やかな言葉が息づいているからです。英文学は繊細な心理描写や比喩で長い文章をしなやかに編み、中国文学は漢字の凝縮された力で情景と感情を鮮やかに描き出します。これらを読み比べることで、「長い英文の構造をどう処理するか」「短い言葉の奥に潜むニュアンスをどう膨らませるか」といった翻訳者ならではの課題に自然と向き合うことができます。
名作は、ただ読むだけでなく、翻訳者の感性を深く耕し、表現の幅を広げてくれる貴重な学びの場なのです。
おすすめの秋の読書リスト

ここでは翻訳スキルアップの観点から「読んで面白く、学びにもなる」5作(英語3作、中国語2作)をご紹介します。
1.『グレート・ギャツビー(The Great Gatsby)』(スコット・フィッツジェラルド)
1925年発表のアメリカ文学の傑作。20年代のジャズ・エイジを舞台に、華やかな富と享楽の裏に潜む孤独と喪失を描いた小説です。主人公ジェイ・ギャツビーは、失われた愛を取り戻すために莫大な財産を築きますが、夢は儚く崩れ去ります。
こちらの作品はレオ様主演で実写化されたことでも有名ですね!
豊かな比喩表現とリズミカルな文体は、翻訳者に「言葉の音楽性をどう日本語に再現するか」という挑戦を突きつけます。複数の邦訳を読み比べることで、訳者ごとの表現の違いを体感できる一冊です。
“So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.”
「こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運びされれながらも、流れに逆らう船のように、力の限りこぎ進んでいく」(野崎孝訳)
「だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へ通し戻されながらも。」(村上春樹訳)
“I was within and without, simultaneously enchanted and repelled by the inexhaustible variety of life.”
わたしは室内と室外を行き来していた、人生の尽きることない多様性に魅了されると同時に反発しながら」
「僕は内側にいながら、同時に外側にいた。尽きることのない人生の多様さに魅了されつつ、同時にそれに辟易してもいた(村上春樹訳)」
2.『プラダを着た悪魔(The Devil Wears Prada)』(ローレン・ワイズバーガー)
ニューヨークの一流ファッション誌を舞台に、厳しい編集長の下で働く若い女性アンドレアの奮闘を描いた作品。2006年に映画化されたことで注目を集め、メリル・ストリープ演じる編集長ミランダと、アン・ハサウェイ演じるアンドレアの関係は世界的に話題となりました。2026年には続編の公開も予定されていますね!
映画は華やかなエンターテインメント性が強い一方、原作はよりリアルで生々しい職場体験や内面の葛藤を描いています。映画で知ったストーリーを前提に読むと内容の予測がしやすく、登場人物の心理をより深く理解できます。
映画の台詞と小説の原文を比べると、同じ場面でも表現が大きく異なることに気づきます。映画のテンポと小説の内面描写の差を意識しながら読むことで、翻訳者は表現の幅を自然に学べます。
Join the club. That’s what happens when you start doing well at work, darling. Let me know when your whole life goes up in smoke. That means it’s time for promotion.
「僕も同じさ。仕事が上手くいき出すと、起こることなんだよ。人生の全てが崩壊したら教えてよ。そのときは、昇進の時期ってことだよ」
3.『ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Drian Gray)』(オスカー・ワイルド)
美と退廃をテーマに描かれた世紀末文学の代表作。若く美しい青年ドリアン・グレイは、肖像画が老いる代わりに自分は永遠の若さを保ち続けます。快楽に溺れながら、肖像画だけが彼の罪と腐敗を映し出す幻想的な物語です。
本作は、美と道徳の関係を問う哲学的要素と、デカダン文学特有の耽美的描写が融合しています。発表当時は「不道徳」と批判を浴びましたが、現代では人間の欲望や虚栄心を鋭く描いた傑作として評価されています。
ワイルド特有の皮肉と機知に富んだ台詞をどう日本語に移すか、英語原文の流麗なリズムをどこまで再現するかが翻訳上の大きな課題。訳者によって「格調高い文体」か「読みやすさ優先」かで印象が変わるのも魅力です。
“The only way to get rid of a temptation is to yield to it.”
「誘惑を取り除く唯一の方法は、それに屈してしまうことである」
ちなみに、直接の関連はないかと思われますが、手塚治虫作品でも「ドリアン・グレイ」博士が登場していました。

4.『三体(The Three-Body Problem)』(劉慈欣)
文化大革命期の中国を起点に、人類と地球外文明「三体人」との接触を描く壮大なSF物語。2008年刊行の後、英語版がヒューゴー賞を受賞し世界的に評価されました。
中国語原文には科学用語や古典的比喩、歴史的背景が複雑に入り交じり、翻訳者は文化知識と表現力を総動員する必要があります。専門用語「三体問題」が物語のメタファーとしても機能する点など、翻訳の腕が問われます。
また、英訳と中国語原文を比べると、脚注を避けてリズムを優先するなど翻訳者の判断が見えてきます。小説・翻訳・映像化(Netflix版)を横断的に比較することで、翻訳の多様な役割も感じ取れる一冊です。
中国でドラマ化された後、Netflix でも独占配信、その後はかのチャン・イーモウ監督による映画化も控えているなど、ますます注目が高まる作品です。
5.『兄弟(Brothers)』(余華)
文化大革命から改革開放、急速な経済成長に至る中国社会の変容を、二人の異母兄弟の対照的な人生を通じて描いた大作。正義感の強い兄・宋鋼(ソン・ガン)と、欲望に突き動かされる弟・李光頭(リ・グアントウ)が、それぞれの道を歩む中で家族愛、裏切り、価値観の激変が浮かび上がります。
余華独特の文体は残酷な現実を描きながらも、ユーモアやアイロニーを織り交ぜ、笑いと涙が同居します。庶民の会話のユーモアや社会風刺をどう異言語に移すかは翻訳者にとって大きな挑戦です。英訳版と日本語版を読み比べると、説明的な直訳と自然な会話長という翻訳方針の違いが際立ちます。
翻訳力アップにつながる読書習慣

原書と訳書を読み比べる学び方
同じ作品でも、訳者によって作品の印象は大きく変わります。たとえば『グレート・ギャツビー』や『三体』を複数の訳で読み比べると、翻訳者の表現の選び方が読者の受ける印象をどれほど左右するかが見えてきます。この比較作業こそ、翻訳者自身のスタイルを確立する上で大きなヒントになります。
また、映画やドラマなど映像化された作品も多く、字数が限られる字幕翻訳と原作を比較してみるのも面白い試みです。映像翻訳ならではの省略や言い換えが、原作のどこを生かし、どこを削っているのかを知ることで、翻訳表現の幅をより実感できます。
読書記録や感想を翻訳スキルに結びつける工夫
印象に残った表現や「直訳では伝わらない部分」をメモに残す習慣を持ちましょう。英文学では比喩や心理描写、中国文学では典故や文化背景など、翻訳の壁になりやすい要素が数多くあります。読書中に感じた発見や言葉の選び方を記録しておくことで、それ自体が「翻訳の辞書」として蓄積されます。後から見返したとき、表現を磨く具体的なヒントや、自分ならではの翻訳の視点が自然と整理されているはずです。
翻訳の視点から読む世界文学

表現やリズムの工夫に注目すべきポイント
英文学には、複雑で息の長い文章が多く、独特のリズムがあります。一方、中国文学には対句や韻律など、漢学ならではの緊密な響きがあります。
翻訳者は、これらをただ意味として訳すのではなく、日本語でどう自然に響かせるかを常に考えながら読む必要があります。意味だけを追うのではなく、文章のリズムや音楽性を再現する力を養うことが、作品の魅力をそのまま届ける鍵になります。
文化的背景をどう日本語に生かすか
英文学の背景には個人主義の価値観があり、中国文学には家族や郷愁、自然観、さらには文化大革命や改革開放といった歴史が深く根づいています。こうした背景を深く理解することで、翻訳に厚みと奥行きが生まれます。異文化理解は、単なる知識ではなく、作品の本質をとらえて日本語に表現するために欠かせない力です。まさに、翻訳者に求められる最も大切な資質の一つといえるでしょう。
まとめ

世界の名作は、翻訳者にとって互いを補い合う学びの場です。英文学は語彙や比喩の豊かさを、中国文学は凝縮された表現力と文化の深みを体感させてくれます。両方を読み比べることで、「言葉の幅」と「文化の奥行き」が自然に広がり、翻訳スキルは確実に磨かれます。
この秋はぜひ、世界の名作を手に取り、翻訳者としての感性を育てる読書時間をじっくり楽しんでください。
=========================================
著者プロフィール
YOSHINARI KAWAI
2008 年に中国に渡る。四川省成都にて中国語を学び、約 10 年に渡り、湖南省、江蘇省でディープな中国文化に触れる。その後、アフリカのガーナに1年半滞在し、英語と地元の言語トゥイ語をマスターすべく奮闘。コロナ禍で帰国を余儀なくされ、現在は福岡県在住。



コメント