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翻訳者が持つべき時間感覚

最終更新: 6月20日


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いつの時代も私たち翻訳会社(翻訳者)を待ち受けているもの・・・そう、「締め切り」です。時には分刻みの納期が重なり、あくせくしながら仕事を進める毎日。特に翻訳業界は、クライアントのお国柄によっては質よりもスピードを求められることが少なくありません。


私たちに限らず、すべての職業の方が一定の納期に従って動かれていることと思います。

納期でがんじがらめの中に急ぎの仕事が入ってきたりすると、一旦シャッターを下ろしたくなることも。


今回お伝えするのは、ビジネスでもプライベートでも、私たちの生活すべてに共通する「時間」のお話です。



翻訳者は「走り続ける」運命


中国でも、ガーナでも、そして今は日本でも、朝 6 時に起きて、コップ一杯の水を飲み、10 分くらいで身支度を整え、1 時間くらいのジョギングを習慣にしています。同じ道のりを走り続けると飽きてしまうので、どこにいても 3 パターンくらいのコースを確保して、気分によって、毎日違うコースを走っています。


日本はジョギング人口が 964 万人と言われており(ただこれは年 1 回以上ジョギングを実施する人を対象にしており、実際に走ることを習慣にしていると言える人はもっと少ないと思いますが、ジョギング愛好家が多いことは間違いないでしょう)、その動機は様々だと思います。健康のため、ダイエットのため、ストレスに対処するため、人はいろんなことを求めて走ります。私はと言えば、フリーランスの翻訳の仕事がこの「走る」という行為に密接に関係していると考えています。


比べてしまっては大変申し訳ないのですが、村上春樹氏も走ることを習慣にしていることは良く知られています。彼は、小説を書く仕事に気分が乗るか乗らないかにかかわらず、ジョギングをとにかく「やらなきゃならないこと」とみなしています。そこが走るという行為と共通している、と『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)の中で述べています。そして、私個人にとっても「訳す」と「走る」は対極に位置するのではなく、同一線上にある気がしています。



自分のラップタイムとペースを把握する


「走る」と「訳す」には実はたくさんの共通点があります。実際、「走る」という行為を通じて、翻訳という仕事について考えることがよくあります。息を切らしながら「訳す」ことに対して新たな気付きを得、モニターに向かって中国語の文章とにらめっこをしながら「走る」ことに対して理解を深めています。


例えば、ランナーと翻訳者の時間感覚は非常に似ています。フリーランスで翻訳をしていると、とにかく求められるのはスピードです。仕事をいただいた時、まず考えるのは「いつまでか?」「字数は?」の二点です。

クオリティを確保することはもちろんですが、どんなに質の高い翻訳をしたとしても、クライアントが指定している納期に間に合わなければ仕事として成立しません。

そこで、締め切りまでに使うことができる時間を確保し、一時間あたりにどのくらいの字数を翻訳する必要があるのかを割り出します。ジョギングの場合、一時間で目的地に辿り着くためにはどのくらいのペースで走れば良いのかを計算するのに似ていますね。

走り始めて、今朝は体調がイマイチなことに気付いたとしても、とにかく走り出したのだからそのペースでいくしかない、と自分に言い聞かせて走り続けます。


走ることも、訳すことも、不思議なことに始めてしまえば徐々にペースが整ってきます。どちらも大切なのは一定のリズムを保つことです。走っている途中に、ペースを落としたいと思うこともありますが、自分の呼吸とランニングシューズで地面を蹴る音に思いを集中して、そのポリリズムが崩れないようにしていると、身体が勝手に動き続けるようになります。そうなるとしめたもの、時間を気にせずに気持ちよく走れる、自動操縦のような状態に入るのです。その状態に到達すると、残り時間とか、ペース配分は特に気にならなくなってきます。


スタートダッシュからランナーズ・ハイへ


翻訳に関しても目指しているのは、その感覚です。「あと何文字、間に合うかな」とか「1 時間で何文字訳したかな」とか言うことを気にしなくても、同じペースが刻まれているような、とてもハイな状態、ちょっと大げさかもしれませんが「フロー状態」に入ること、それが理想です。

フロー状態は心理学者のミハイ・チクセントミハイよって提唱にされた概念ですが、「人間がそのときしていることに、完全にのめり込み、精力的に集中している感覚」と定義づけられます。そして、人がその精神状態に入り込んでいるとき、時間の感覚は変容し、ゆがむと言われています。そして、あとでその経験を振り返ると、時間がとても早く流れたと感じられるようです。


私たちは、時間は誰にとっても同じように流れている、客観的な目盛りのようなものと考えがちですが、実際はそうではなく、かなり主観的な経験に左右されることをこのことは示しています。そして、「何かをした一時間」を自分がどの視点で見るかによっても、つまり、将来、現在、過去、どの立ち位置から眺めるかによっても、伸びたり縮んだりする不思議なことが起きうるということです。


翻訳者にとっての時間との理想的な付き合い方は、翻訳に着手する前は時間は箱のようなもので、そこにどれだけの字数を押し込めるかを考えますが、実際に作業をしているときはフロー状態に没入、時間が気にならない感覚で仕事をし、作業後はあっという間に過ぎ去ったその時間を振り返り、そこから深い達成感を味わえることなのかな、と今は考えています。



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著者プロフィール

YOSHINARI KAWAI

2008 年に中国に渡る。四川省成都にて中国語を学び、その後約 10 年に渡り、湖南省、江蘇省でディープな中国文化に触れる。現在はアフリカのガーナ在住、英語と地元の言語トゥイ語と日々格闘中。



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