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実は深い翻訳業界㉙~翻訳できない・しづらい言葉に立ち向かう!



膨大な外国語の文章を目の前に、夜の静寂の中で PC に向かう翻訳者を思うとき、私はなぜか「風車に立ち向かっていくドン・キホーテ」をイメージしてしまいます。恥ずかしながら、上下巻合わせて6巻(岩波文庫)にもなるセルバンテス著『ドン・キホーテ』をちゃんと読み通したことはないのですが、もしかしたら皆さんも私同様、彼が風車に立ち向かう有名な場面はご存じかもしれません。


不朽の文学的名作についての解釈はさておき、風車を巨人と思い込み、突撃するものの、ドン・キホーテは吹っ飛ばされて地面に叩き付けられてしまいます。それを見た従士のサンチョ・パンサは「やれやれ、なんてこった!」とあきれ顔。しかし、騎士たるもの、こんなことではあきらめません。


翻訳者もこの物語よろしく、なんとも翻訳しづらい言葉にぶつかり、時には歯が立たず、時間ばかり過ぎていくということもあります。弊社もローカライゼーションを得意としていますが、私は自分の日本語の語彙の限界や表現力の乏しさに情けなくなることもしばしばです。


今回は、そんな翻訳者たちが、上記の遍歴の騎士のように「翻訳が難しい言葉」に立ち向かうあくなき挑戦がテーマです。



翻訳文を理解しなければ始まらない


何はともあれ、翻訳文を前にした翻訳者がすべきことは「相手を理解すること」です。「理解」するには、単にうわべだけの意味を当てるのではなく、翻訳文の言語区的特性や文化的背景なども含めて、できるだけ深掘りしなければなりません。



辞書や類語辞典をフル活用


翻訳文を理解するためには、まず辞書を活用します。イメージを膨らませるためにできるだけ例文が多く掲載されているものが良いです。時には、さらに翻訳が難しい言葉を多方面から眺めるために類語辞典も活用します(類語辞典の活用法についてはこちらも参照)。


最初から「自然な訳」を狙いすぎると本来の言語が持つ意味を失わせる可能性もあるため、まずは直訳してみます。



「自然な訳」を生み出すには?


直訳をもとに「日本語でこのシチュエーションだとこう言うな」という訳をいくつか思い浮かべます。なかなか自然な訳が思いつかない場合は一旦 PC から離れて散歩したり、お風呂に入ったりすることも有効ですが、そんな時間的な余裕がない場合がほとんどでしょうか…?


ちなみに私は形にならない翻訳文を頭に浮かべながら、ランニングに出掛けることもしばしば。周りの景色をみながら、息を弾ませながら走っていると、ふっとインスピレーションが浮かぶことがよくありますので、おすすめです。



翻訳できない言葉に立ち向かう~実践編①


では、ここから英語と中国語の事例を1つずつ挙げて、実践してみましょう。あなたなら次の英語の文章をどう翻訳しますか?


Just because you have the emotional range of a teaspoon doesn't mean we all have.

これは『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』より、ハーマイオニーのセリフです。まずは辞書や類語辞典を使いながら直訳してみます。あえて挙げる必要もないかもしれませんが、文章の中の言葉をいくつかピックアップします。


Just becacuse ~ doesn’t mean~:ただ~だからと言って、~とは限らない

Emotional range:感情の幅

Teaspoon:ティースプーン、茶さじ


調べた情報を元に直訳すると「スプーン一杯分の感情の幅を持っているからといって、全員が持っているわけではない」という感じでしょうか。まだまだ違和感がある日本語です。


ここから、文脈や背景も考慮に入れながら、場面ならではのバリエーションをいくつか考えてみましょう。このセリフはハーマイオニーが、友だちの繊細な感情を理解しようとしないロンを皮肉って言う一言です。この場面をイメージしながら、彼女がバシッと突っ込むにはどんな日本語が自然かを考えます。


・あなたの感情はスプーン一杯分しかないのね!みんなそうだとは限らないわ。

・スプーン一杯分の感情しかないのね。みんなそうだと思わないでよ!

・感情の幅がたった1ミリくらいだもんね。そんなのあなただけよ!


3つ目の訳文は「感情の幅」を訳に反映させたため、「スプーン1杯」よりも「1ミリ」の方がよいのではと最適化した結果、生まれたものです。


ただ、実際の映画字幕では、表示時間や文字数の関係で「あなたの感情はスプーン一杯分だものね」と、文の後半がカットされていたようです。



翻訳できない言葉に立ち向かう~実践編②


さて、今度は中国語編です。


例に挙げるのは中国のSF小説として空前絶後の大ヒットとなった『三体』(劉慈欣著、早川書房)からの一文。主人公の葉文潔(イエ・ウェンジェ)が『沈黙の春』という本をある新聞記者である白沐霖(パイ・ムーリン)から受け取るシーンです。


沉默了好一会儿,白沐霖突然说:“我看得出来你的感觉,在这里也就我们俩有这种感觉。”

まず辞書から単語をピックアップして、理解に努めます。


好一会儿:しばらく、随分長く

・看得出来:見出す、発見する

・感觉:気分、気持ち


直訳してみると、「しばらく沈黙してから、ムーリンが突然言った。『私はあなたの気持ちを見分けられます。ここには、わたしたち二人だけがこのような気持ちを持っています。』


違和感満載ですね…では、文脈を考慮に入れつつ、自然な訳を試みてみましょう。


この場面は三体の中でも重要な場面で、小説全体の伏線にもなっています。ご存じの方も多いと思いますが、レイチェル・カーソンが著した『沈黙の春』とは、人間が使う殺虫剤の中に含まれている化学物質が自然環境に及ぼす影響に対して警鐘を鳴らした本です。


主人公のウェンジェはこの本を通じて、これまで人間が当たり前のように行ってきた行為が大自然からみると「悪」なのではないかと気付かされるのです。そこから、人類の本質は悪なのでは、とまで考え始めます。


そういう緊張感が伝わるように、またムーリンは男性でウェンジェは女性だということも考慮すると次のようにやや自然に訳せるかもしれません。


・しばらく沈黙が続き、ムーリンが突然口を開いた。「気持ちは分かります。ここでは僕たち二人だけが同じ感覚を持っています。」


ちなみに『三体』の日本語版では、次のように訳されています。


・沈黙が続き、ムーリンがふと口を開いた。「気持ちは分かるよ。そんな気持ちを抱いているのは、ここではぼくらふたりだけだから。」


さすがに上手い訳ですね。主語が省略されることが少ない中国語を、主語を省略しまくる日本語に翻訳するときには、「誰が誰に話しているのか」が分かるように語尾などの訳し方を工夫する必要もあります。



まとめ


翻訳できない言葉に出会ったとき、つくづく感じるのは、翻訳者には高い日本語能力が求められるということ。日本語の語彙力、豊富な表現力の引き出しがあれば、翻訳文に含まれるイメージをつかめますし、それをアウトプットすることも容易になります。


一朝一夕では向上するはずもない日本語を伸ばすべく、「ドン・キホーテ」たちの挑戦は今日も続きます。



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著者プロフィール


YOSHINARI KAWAI


2008 年に中国に渡る。四川省成都にて中国語を学び、約 10 年に渡り、湖南省、江蘇省でディープな中国文化に触れる。その後、アフリカのガーナに1年半滞在し、英語と地元の言語トゥイ語をマスターすべく奮闘。コロナ禍で帰国を余儀なくされ、現在は福岡県在住。


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